2012/03/01(木)身動きが取れない。窮屈だ。いつもいつでも、表に出てるのは嘘の自分?
そう、ふと思ったんだ。
仕事中は言うまでもなく。誰かといるときは常に。Twitterですら。
誰とも素でコミュニケーションがとれない。本当に誰とも、ぎこちない感じになってしまう。
(外から見て僕がぎこちないように見えなければ、僕は今のところうまくやれているのだと思う)
そして、心安らげる場所はどこにもない。
なんというか。
自分自身が周りの人に気に入られたいって思うことはあんまりないんだけど、
自分自身のせいで周りの人に不快になられるのはものすごく怖い。
気に入られたいわけではないけど嫌われるのが怖いっていうのかな。
そのせいで、キャラ作りし、ありのままの自分っていうものがだんだん出せなくなってきてる。
いつからそんなに怯えて生活するようになってしまったのか。
それがたぶん、最近何をするにしても社会性を意識してるせいで、その弊害なんだと思う。
自分の仕事。仕事である以上社会に受け入れられないと、それは仕事とは呼べない。
趣味って言うか高尚な遊びって言うか、それなら勝手にやってろって感じだけど、
そうじゃなくて、仕事なんだってこと。
仕事っていうのは職業ってことでご飯を食べるってこと。生きるってこと。
趣味とか高尚な遊びが世の中に受け入れられている人たちというのはものすごく幸運だと思う。
そういう考えはあるんだけど、でも、たぶん、どっちかというと。
自分の仕事が社会に認められたい、っていうのが強いせい。
いや、出世欲とか歴史に自分の名を残したとかはあんまりどうでもよくて、そうじゃなくて、
認められるのは誰でもいいんだけど、便利になってる状態の世の中を見てみたいっていう気持ちが強くある。
これこれこんなものが実現できて、こんな風に人がいて、こんな風に幸せになれればいいなっていう夢。
仮にそれを実現するのが僕なのだったら、僕はやはり社会に受け入れられなくてはならない。
さっきの例に照らし合わせると、僕が幸運であることは世の中が幸せであることってことか。
わぁ、なんて傲慢。でも、それが夢なんだもの。仕方ないじゃない。
かくして、僕の仕事が受け入れられることと僕が受け入れられることは繋がってしまっている。
僕は、人のいるところにいなくてはならない。僕は人のいる中で生きていかなくてはならない。
そう、強くそう感じる。そこで、たぶん、なんか、そうだな。
いつも無意識的にそういうことを考えてるせいで、だんだんすべてが作られた自分なりつつあるのかも。
Twitterでさえも、迂闊なことをつぶやけない。フォロワーが減るのがとても怖い。
怖いっていうか困ってしまう。だって、Twitterは僕の広告塔だから。
そういう気持ちが無意識的に、いつの間にか僕の中に色濃くなっていたんだと思う。
作った自分はやはり自分であって、それは嘘の自分ではないんだけど、正直な自分ではない。
料理で言えば、たくさんの調味料を使って味を誤魔化してる状態。
でも。たぶん、このやり方は間違ってる。
このままうまくやっていけるならいいけど、最後までうまくやる自信は僕にはない。
どこかで無理が溜まっていて、いつか僕は脆く崩れるだろう。それではいけない。
僕の仕事が受け入れられるために、僕が受け入れられるために、
僕は僕を作るのではなく僕を磨かなくてはならないのだと思う。
だから、ちょっと原点回帰が必要だと思う。
学生やってたころの、就活やってたころの自分。
ニュートラルに構えて勝負に出られてた自分。
自分を塗るんじゃなくて、自分を磨く。
3月はそれを意識してみようと思う。
今は、本当に久しぶりに正直な気持ちになれた気がする。