2009/02/01(日)サークル活動における雰囲気作りの大切さ

はてブ数 2009/02/01 16:14 独り言つーさ

なんでこんなに過疎ってんだ。

サークル活動について。彼は抽象的に書いてくれた?ので私は具体的に。

俺はサークルで主にメインプログラマを張っている。そう、俺には「張っている」という感覚がぴったりくる。冬コミに出したアクションRPGも、ゲームエンジンは俺が書いた。エンジンが使ってる主にDirectXを扱うためのSDKも俺が書いた。登場するキャラクターの定義もベースは俺が書いた。あくまでプログラムだけだけども。

俺は今2年生をやっているけど、実際にはOBと同じ年齢だし、NEETだった間にプログラムばかり書いて遊んでいたことを思えば、プログラミングに関してだけ言えば世間一般の大学生よりは力があると思ってる。

サークルに入って最初の夏、いきなり夏コミのメインプログラマをやることになった。今に比べればひどい仕事だったけれど、その当時は自分の実力を精一杯発揮してプログラムを書いたし、なんとかゲームとして動くものができたと思う。それは、当然俺だけの力ではない。企画が立ち上がり、開発が始まると、自然と人が集まった。プロジェクトリーダーの企画や人事、仕事の割り振りの下にスタッフ全員の協力があってこそのもの。誰が欠けても作品はできなかった。みんながみんな、自分の技術(art)を使って仕事(work)をした。それがとても楽しかった。そこに上下関係はなかった。私は他のすべてのメンバーを尊敬していた。私の記憶の限りでは、そこにいたスタッフはみんなそうだったように思う。

夏コミにも行った。できあがった作品、一枚一枚CD-Rを焼いて、ジャケットを入れてパッケージにして。ブースを訪れる人に声をかけ、手渡しで一枚一枚作品を頒布していった。力を入れた作品だったから、それが人の手に渡っていくのに感動した。完売にはいたらなかったが貴重な体験だった。

秋に私は大学祭で使うアプリケーションランチャーを書き、肝心の大学祭をすっぽかして、東京へプログラミングコンテストに出かけた。大学祭は、バグ修正やバージョン管理でなかなか大変だったみたいだけど、リーダーの上手い立ち回りで事なきを得たと聞いている。

冬はミニゲームのパレードを作るということで、個々のゲームを担当スタッフを決めての開発。EXEが大量にできる。私は、それらに共通のフォントを組み込むための基礎プログラムと、プログラム間で行うデータの受け渡し方法の設計とそのライブラリの開発をしていた。元々、エンドユーザに使ってもらう何かより、プログラマに使ってもらう何かを作る方が好きな体質である。それはここで公開しているHSPモジュール本数とソフト本数を比べてもらえればわかることでもある。地味な仕事だけど、他の開発者の役に立てるとあらば、それは楽しい以上に嬉しい経験だった。そしてまた冬コミに旅立つのだが、体調不良で旅行中止。コミケには行かず実家に帰った。

春は部室を引っ越した。広報になったが、きっと広報らしいことは何もできないだろうと思っていた。本当にそのとおりの1年になってしまった。債務不履行だ……。

2年目。新入生が入ってきた。誰もが制作未経験者。私は未経験者、初心者でも歓迎する心構えでいた。プログラマ志望は多かった。これだけプログラマがいれば安心。私の後輩、後継人である。サークルでの活動を通して力をつけていってほしいなと思っていた。それから、C#でDirectXを扱うための土台となる暮らすライブラリを書いた。GSDKの初版だ。こいつを使って1年生でも手軽にゲームを作れるようにしよう、俺がやりたいことをもっと楽に実現できるようにしよう。そう考えていた。

ゆかた。音ゲを1週間くらいで突貫工事して出した。BMSのMIDI版みたいなもの。愛機MU2000EXとIIDXの専コンをブースに持ち込んで、過去の自作曲の譜面を作ってゲームにした。機材の持ち込みは大変だった、そこそこ盛況だったのがよかった。

夏。今回はメインプログラマを降りてサポートに回ることにした。スーパーバイザーとかいう役である。4月の下旬にかなりの余裕をもって動き出したはずのプロジェクトは5月の下旬に遅れ始め6月終わるころにはじりじり追い詰められ始めていたように思う。このままいくとやばい……。今になってみればひどく身勝手なことだと思うが、私がメインを降りている以上、メインを担当している人間には、しっかりと作業を進めてもらいたいと思っていた。だから、憤りも感じていた。結局、夏期休暇に入ったぐらいに、助太刀することになった。ストーリー進行の会話エンジンやキャラクターセレクトなど、ゲームエンジン以外のプログラムを一通り書いた。部室に詰めながら、はたと思うこと。去年の夏作品はあんなにたくさんの人がかかわっていたのに……。部室にはみんながいた。そう、「みんな」がいたのだ。それなのに今年はわずかに3人。ふいに、寂しさがこみ上げた。去年が恵まれすぎていたのだとも考えた。今は作品を作るしかない……。この3人の他に頼める人がいたのか、この3人の他に頼める仕事があったのか、それはわからない。

その夏もコミケに行った。サーチケなしで昼からののんびり入場プランだ。プレイ動画を流していたせいもあって、俺がブースについたころにはかなり残り部数が少なくなっていた。そして過去最速の完売を実現する。ゲームも本当に楽しくできあがっている。しかし、どこか物足さを感じていた。話の筋とは関係ないが、この夏に作った作品は演出上の粗が目立った。細かいところで作品の完成度を落としてしまっている。演出は大事だ、演出こそゲームを楽しんでもらうための重要なポイントだと考えるようになった。細かいところにこだわって、より演出面に力を入れた。GSDKのバージョンがあがった。1年生は夏コミ作品には参加しなかった。

秋。プログラミングコンテストに出た。幸い大学祭とは重ならなかった。大学祭にはゆかたで作った音ゲを演出面強化して焼きなおした。少し難しすぎたらしい。そんなものはどうでもよくて。私はこの場で初めて、1年生が作った作品を目にする。初めてにしてはかなり高度なことをやっていたと思う。そのアイディアを見て、ああ、企画には困らないな、と感じた。しかし、反面プログラミング能力は、まだ「やりたいこと」を完全に実現できるレベルに達していないこともわかった。歯痒い思いをしているんじゃないかと、勝手に思った。そして、少し、ああ、来年以降大丈夫かなぁと案じてしまった。

冬。秋の件もあったので、冬コミの企画は1年生を半ば強引に誘ってはじめた。というよりも、勝手に始めた後に強引に誘った。プロジェクトがだんだん大きくなるのはよかったし、冬コミではとても完成しないから体験版にしようという選択も正解だった。しかし、何かが狂った、どこか気合が空回りする嫌な空気のまま修羅場期間に突入し、そしてそのまま冬が終わった。それなりに楽しく制作に取り組めた。冬コミも楽しかった。けど、なんか違う。なんか納得できない。

ある程度人数がいれば上級生は上級生で、下級生は下級生で作品を作ることができたのかもしれない。けど、最初の夏にした作品作りはそんな雰囲気でもなかった。プロジェクトメンバーがうまくまとまって、1つの集団として作品を作ってた。次の冬もそうだった。それが感じられないのは一体どうしてなんだろう。

そんなことを昨日のすき屋では振り返っていた。私はNEETしてプログラムで遊んで、何か作ることの楽しさ、喜びを知ってからこのサークルの門を叩いている。今残っているメンバーもだいたい同じ。でも、1年生らは未経験でサークルの門を叩いている。何かを作る楽しさを知らないのか? だから1年生の温度が低いのか? ということを昨日のすき屋の時点では考えていたのだけど、今改めて考え直してみるとそうではない気がする。彼らにもモノを作りたいという意思は感じられたように思う。実際大学祭の作品はかなりがんばっていたし、冬コミに参加してもらった部分の仕事もよかった。だから、温度が低いわけではないのだと思う。彼らは彼らなりに何かが作りたいと思ってくれていると信じている。だから、そうではないのだ。

たぶん、彼らがあまり部室に顔を出さないのは、俺が彼らを威圧して、居心地の悪さを感じさせてしまっていたのではないかと思った。俺は、いいモノが作りたい。それを彼らにも要求している部分が少なからずあったのだろう。それが先行するばかりに1年生らをスパルタ教育的に追い詰めて、彼らに畏怖を与えてしまったのではないか。部室の雰囲気作りに気を配れていなかったのではないか。俺が無理矢理ハードルをあげてしまったが故に部室にもあまり来なくなってしまったのではないかと考えた。そんなことを、ひどく後悔しても後の祭りなんだよなぁ。

俺が1年のころ。1年生をやっていたころ、サークルには上下関係はなかった。当然技術の差、能力の差は存在したが、それで上下関係が生まれるわけではなく、みんなが他のメンバーを尊重して仲良くやれていた。そこには、きっと全体の雰囲気をうまく作るリーダーの姿があったからだと思う。だって、いつもみんないたよ。みんなが部室に来てた。

その1年後、彼らのうち何人かはOBとないて、部室に常に顔を出すのは、私とあともう1人2人のメンバーになってしまっていた。私たちが切り盛りしなくてはいけない。あるいは、私が切り盛りしなくてはいけない、そんな責任感を感じた。私がリーダーをしなくてはいけないのか。そんな風に考えた。今振り返ればそれも思い違いだったのだと思う。はじめからそんなもの必要なかったのだ。1年生は最初5人くらい入ってきた気がする。

今いつも顔を出してくれる1年生は1人。彼からは、自分の仕事を見つける、居場所を作るという意味で自分と同じような感じを受ける。他メンバーとのコミュニケーションも盛んで、きっと自分の立つ場所の距離を測りとる能力があるのだろう。私は彼らとできる限りコミュニケーションしてきたつもりではいたが、それでも足りなかったのか、あるいは無理矢理近づこうとしすぎたのか、関与しすぎたのか、期待しすぎたのか、もう何がいけなかったのか。うん、たぶん期待しすぎたんだよね。俺、プログラミングを始めたころの脳はもう覚えてないから、彼らの能力限界みたいなものがわかってないし。

オブジェクト指向の考え方の説明なんかしてみたところで、結局プログラムなんて習うより慣れろの世界だし、ソースはどうあれバグらず動けばいいの世界だ。正直、美しいコードなんか書かなくていいんだ。でも、プログラマがリーダーについちゃうと、そういうところに目が行ってしまいがちで、メンバーの士気が下がってプロジェクトが失敗するのはそういうとこにあるのかもなぁ。

俺は本当は仲良くなりたい。仲良くしたい。仲良くやりたい。俺には能力なんてない。人よりちょっとプログラムが書けるだけ。そんなことは自慢できることでもなんでもない。俺は権威でもなんでもない。だから、どうか、もし俺を畏れているのだったらやめてほしい。

作品作るのなんてどうでもいい。なんて書いたら、また語弊を生みそうだけれど、せっかく同じサークルに属すことができた他の人と仲良くやる方が俺にとっての優先度は高い気がしている。どうしてこんなにも難しいのだろう。一体、どうすりゃいいんだ……。