2010/02/27(土)愛について サービスについて

はてブ数 2010/02/27 11:59 独り言つーさ

つい先日、twitter上で愛について考えたことをだだ漏れしていたのですが、その続き。

私が興味を持つ分野っていうのはもの作りなのですが、
作ったものを提供すなわち、それを使ってどうサービスするかというのも
非常に重要なファクターになってくるわけですよ。

で、そういうことを考えたときに、
先日のつぶやきでいうなんていうわがままな感情、一方通行の想いだけでは、
到底、サービスの提供を実現することなんかできないじゃないですか。
あ、私にとってサービスっていうのは相手が欲しているものを提供することです。

相手の欲している物を提供しようとすること、それはではないのか?
いやぁ、愛には色んな形があるもので、最近、私はその辺に葛藤があって思い悩んでいたんです。
相手の欲している物を提供することサービスで、
相手の欲している物を提供しようとすることサービス精神とでも申しますか。
このサービス精神というのはとは違うのかということを考えていたのであります。

で、やっぱり違うんじゃないかなぁと思ってるんです。

かつて、私の友人である一人の哲学者が「愛とは行動」みたいなこと言ってました。
「具体的な行動を何一つ取らないのであればそれは愛などとは呼べない」という文脈だったと思います。
そのとき、私は「なるほど」と思って、それからさっきの問題にぶち当たったのですが、これは
具体的な行動を何一つ取らないのは愛ではないのではなくて、
具体的な行動を何一つ取ってくれないのならば私は愛されているとは感じない
つまりそれはサービスを受ける人間のエゴではないかと、最近思うのですね。

 愛スル≠サービス提供スル
 愛スル≠サービス提供したいと思ウ

単に愛することは、具体的に相手に何の働きかけをしなくてもできることだと思っています。
確かに、人は具体的なサービスを受けないと愛されているとは感じない生き物かもしれません。
しかし、「本当に、愛しているなら、○○してあげるのが当然でしょ?」というのはエゴいです。
あ、このサービスというのは、コミュニケーションを取るといった基本的なことも含まれます。

逆の視点から。
私は、動機付け的な意味で「愛がなければサービスを提供することはできない」と思っていました。
そう思っていたんですが、別に愛がなくても、WIN-WINの関係というのは築くことができるような気もします。
いえ、そのWIN-WINの関係を築こうとすることこそが愛という言葉で表現すべきモノなのかもしれませんが、
それだとこの文脈の愛と、元の文脈の愛ではそもそも、違う物を指すことになってしまう……。
同じ言葉で違う情景を思い描く。私の1人の中でもという言葉の定義が曖昧なまま物を書くとうまくいかない。
なんて曖昧な言葉を使わずに、その形を区別して説明できるような体系で考えないといけないなぁと……。

まとまりがないエントリだ。

追記

なんていうか。
手前の、愛=わがまま なのは 愛じゃない気がしてきた。
とても難しい。