2009/03/20(金)どうも私は

はてブ数 2009/03/21 01:26 のんびり日記::ココロノウチガワつーさ

書かないかなぁと思ったけど結局書いてる。

いろいろ。思ってることと考えてること。

どうも私は誰かに勝手に尊敬されて、それを裏切る傾向にあるらしい。これで何度目だろうか。まぁ、根はちゃらんぽらんなので仕方ないのかなぁ。んー。まぁ、私なんてその程度の人間だと、最近は思っていた。思う。わかんない。そしたら。

部室にて。今日は後輩に「てめーはなんでそんなに無責任なんだ、ん?」と怒られた。怒られた? キレられた。んー。まぁ、無責任だわなぁと思う。

正直、気張っても仕方ない。がんばることは美徳ではない。と思う。かつては私も壊れかけたクラスに向かって「なんでおまいらはそんな風にしていられるんですか」という台詞を吐いたことがあった気がする。そのときの事は私にとって思い出したくない過去なのかもう覚えていない。忘れてしまってから、まぁ、世の中にはそういう人がいるんだなぁくらいで納得した。私もいつのまにかそういう人になっていたらしいということだ。

相変わらず私には何もできないと感じる。それは経験がないからで、その経験を積むためには一念発起するしかないとまで言われたが。でも、最近は、疲れたなぁ。もうたくさんだなぁ。という気分でむしろ満たされていて、なんかやろうという気も起きない。私こそルサンチマン充だったのだなぁ、ということに気付かされる。去年の今頃はこんなことなかったような気がする。のに、いったいこの1年で何がおかしくなってしまったのやら……さっぱりわからない。いや、潜在的にはそうであったのかもしれないが。

こういう風に何か声を発することも恐怖を感じる。何が怖いのかはよくわからんが。私のことを間違っていると否定する声かしら。まぁ、間違っているのだよなぁ。

それから。私がこの半年間悩んでいた1年生が来なくなった理由というのも、実にしれっと教えられた。簡単なことですよ、と。今年度の1年生に、ゼロからプログラミングを始めた子がいた。その子は自分で参考書を買いそれで結構勉強していたらしい。ただ、その技術は今の時代にはそぐわない、いささか時代遅れなものであった。その子がそんな勉強をしていることを知って、私は「そんなもん使わねーよ」と頭ごなしに言ったらしく、その子とその友達が疎遠になったのはそういう理由らしかった。

そんなことは初めて知った。いや、でもその当時もその子がきっと猛勉強して知識をつけたであろうことはわかっていた。しかし、私はやはりその技術は時代遅れのものであるし、その当時(制作に対しての意識なんて記事を書いたころ)の私は技術至上主義、結果至上主義でいたので、「がんばったのだとは思うけれど参考書選びの際に一言相談して欲しかった」という感想を述べたと記憶している。まぁ、彼が言うように無責任な私のことなので記憶は改変されているかもしれないが。

うーん。それによって私がその子の制作の芽を摘んでしまったのだったらそれは申し訳ないことをしたとは思うが、それだけだ。制作なんていうのは、熱意からやるもんで、誰かになんか言われてやめるよーなもんではない。私とは縁がなかったが。だから、無責任と言われるのか。んん?

黙って見てりゃよかったのかなぁ。伝統的にはそうだったらしいしなぁ。でも、人員不足で焦ってたから、力をつけて力になって欲しかったというのもある。。いや、それはさておき。

まぁ、無責任と言われることは。別に、言われることはどうでもいいのだ。最近、自分を振り返っても、自分を棚上げして人を責めてることが多いと感じてはいたし。自分でそう感じるくらいだから、無責任もたぶん事実だし。まぁ、それでも私は私なりの生き方、生活をしてきたので。もう私は幸せにはなれないのかなぁ。なんて思ったり(笑) 正直、どうでもいい。私の人生にすら責任なんて持てない。到底、持つ気になれない。いや、さすがにそこまでは嘘。

いつか、誰かのブログに「自分で責任もって行動すれば怖いことなんて何もない」的なコメントを書いた気がする。私はそんなコメントをした頃から、徐々に自分の責任の範囲を縮退させてきた。私はそんなに責任を抱えていいような人間ではない。私には能力なんてない。だって実際、いなくなった。私の周りからは誰もいなくなった。私がいても仕方ない。いやいや、私がいるとむしろ害になる。なんだ。中途半端に首など突っ込むのがいけない。だったら、傍観者でよい。

いや、実際、誰もいなくなったわけではないんだけどね。うん。私がいて欲しかった人にはいなくなられたということかな。私、みんなにいてほしい。力のなさ。方針の過ち。空気の制御。そういういろんなものに失敗して。勝手に無力感に苛まれてただけなのかな?

サークルは辞めようと思っていたのもそんな考えからだった。ただ、私がやめると後任がいなくなるらしい。いや、たぶんいないことはなかったんだ、とっとと辞めとけばよかったものをズルズルと顔を出すから。くそ。やりたくない。そんな私にこのサークルを任せられない。私にはやり切る自信がないし、もっと正直に言うと、私なんかにやって欲しくない。私はそこにいて、楽しかったから。だからやりたくない。つぶしたくない。いやもう十分つぶしてるか。

やるしかないのか。いや、やるけど。なんで、たかが弱小ゲ制サークルの会長を1年間やるくらいの器量をなくしてしまったのか。俺1年で入ってしばらくして。ああ、再来年は俺が会長なのかーと思っていたよ。結構、つかマジでやる気もあったよ。やってやらぁ上等と思っていたんだよ。本当だよ。はぁ……。

なんかむかつくなぁ。私の生き方に口出すなんて。

うん、やってやらぁ上等。

ただ、仕事(art)に関する考え方は今までと変わらない。変えるつもりはない。誰かがどんなにがんばって作ったものでも、だめなものはだめ。役に立たないものは役に立たない。たとえ私がどんなに時間をかけててどんなにエネルギーをつぎ込んでいても、駄目なものは駄目。無駄なものは無駄。そういうスタンスを変えるつもりはない。ものを言うのは結果のみ。がんばったことは認めるがそれを評価できるかどうかは別問題。まぁ、そうではなくて、評価できないと褒められないというのがめちゃくちゃ問題なんだけどね。

そーすると、シビアな制作現場であるサークルはともかく、問題はバイト。こっちは本気で向いてないなぁと思い始めた。要件である「褒めることができる」を満たせない。昨日も送られてきた絵にとんでもない評をしたものだ。私の無責任さで士気を下げるくらいなら辞めるべきかなぁ。いやぁ、今辞めても士気は下がるんだろうけど。彼の言うとおり乗りかかった船に最後までは乗る。のか、あるいは、そこは降りることを明言して、けじめをつけるのか。まてまて、内部にこんないざこざがあるなんて公にしていいことじゃねぇ(笑

うーん、それでも、とりあえず、やってみる。それでいいのだろうか。今や期待はおろか、不安しかないのだけど。私がいていいのか? 責任とは名誉あるものとか言ってたっけな。私は、責任、というか草鞋は自分で履くものだと思ってる。ある日、私の前に草鞋が用意された。私はそれを履いた。私は誰かに草鞋を履かされたわけではなくて自分で履いた。よな。うん。ほんとはみんなと一緒に仕事できたらいいなと思ってる。でも、私なんかがいていいのか? また今回みたいに空気を乱すんじゃないのか?

やってくにしても、日陰者でいたいとか思ってしまうなぁω 受講生との関わりは最小でいいとか思ってしまう。技術面でのサポートっていうのも、もはや私の知識では力不足を感じつつあるのだけど。いや、最初は朧気ながら、私のペースで講師やってみたいなぁとも思ってたんだけど。結構力入れて作ったつもりの台本でも「無理です、こんなんできっこない」って完全に否定されてしまったわけだし。あそこまで綺麗に否定されると逆にすっきりするよね。

そう。すっきりするといえば。今回、リビジョン番号についても、考え方に齟齬があったのだけど、私はリビジョンがあがったからといって必ず改善されてるとは限らないというスタンス。まぁ、私がプログラマだからというのもあるのだけど、バージョンが上がっても、新しいバグを含むこともあれば、使い勝手が悪くなることもある。そういう風に考えてる。私は10時間掛かってようが48時間捨てようが「それを良いものにしたい」という気持ちだけで動いてる。だから、それをより良いものに近づけるという意味においては、改悪は改悪、不採用は不採用。だから過去の版を残す。そういう線引きがもっと徹底されるといいなぁと思う。

今回引き合いに出された、タイマーの可否についてもそう。確かに私は最初タイマー否定派だった。というのは、会津でスクリーンのタイマーにかなり焦らされたから。でも、あれは作業や演習じゃなくて、コンテストの場面だから焦ってたんだってことに思い至って意見を変えた。演習や作業だったらむしろ残り時間が掌握できた方がいい。タイマーあってもいいんじゃないか。そう思って、私はタイマーを作った。けど、それの否定を別に暴言だとは思わない。謝るなんてもってのほか。たとえ私が10時間掛けようが48時間捨ててようが、要らないものは要らないでいい。

なんか、まとまらんけど、もし私がこれからも一緒に仕事をしていっていいのだったら。いや、辞めろって言われちゃっても、それはそれというか、不採用は不採用だと思っているので。

うーん。いろいろ、迷惑掛けて、ごめんなさい。

講師の方、本当にお疲れ様でした。

あれー、最初と最後で話がかみ合ってない。まぁいいや。