2006/01/15(日)あれこれ全部。
まさか、誰かのコメントが付くことなんて考えてもいなかった。
あれはいろいろなことをごちゃごちゃと考えていて支離滅裂だったから、
今回は少し整理してみたつもり。
まさか、誰かのコメントが付くことなんて考えてもいなかったので。。
いろいろなことをごちゃごちゃと考えていたので支離滅裂で。。
自分の存在論というか。
自分を分子に置いたときの分母は見方で変わるものですよね。
たとえば「つーさのくーかん」を分母におくか、「社会」を分母におくか。
たとえば、「宇宙」や、「この次元そのもの」を分母に置けば、世界ですらちっぽけなものに見えてしまう。
けれど、その「分母」は分子が集まり分子によってできている。
1個の分子をゼロとして見ることができるのなら、同様にn個の分子もゼロである。
最終的に分母ですらゼロになってしまう。……ゼロ除算エラーが出ますね。
つまり、それが小さくともそこに存在しているということでそれは自明なんです。
ミクロで見たらものすごくいろいろなことが変わってしまう。それは分かっています、最初から。
自分が消えてもほんのちょっとナニカが変わるだけで、マクロではほとんどなんの影響もない。
そんな「"自分をちっぽけに見せる"つまらない考え方」が"沸いて"きてしまうことにイライラしていたような気もします。
自分が「そうしていていい」と認められる時間がほとんど無いままにここ2年ぐらい過ごしました。
「それでいいのかどうかわからない」という誰もが不安を持っているものだとは思うのですが、
そういう不安より、このままではいけない、自分は間違っている、という思いに捕らわれていました。
軌道修正しようと思っても自分が思ったとおりに自分を動かせない……
確かに疲れているような気はします。
けれど、自分は何もしていない
何もしていないのだから疲れているわけがない
自分を動かせないだなんて結局は言い訳で、自分が動けばいいだけのことだ
そんなものは甘えた思考じゃないか
そんな風に考えるというより無条件に"思えて"しまって……
確かにみんなは「休んでいいよ」って言ってくれるのですが、
自分で自分を許せない、とでも言うんでしょうか。
「休む」という行為はすでに自分のなかで「罪悪」なことに見えてしまっています。
今も結局何もしていないので「休んでいるのと同じ」です。それは悪いことです。
そして今ここにダラダラと書いている"これも言い訳だと思います"。
"無駄に"罪を背負ってるんだとは思います。
誰かに不利益を与えるわけではないので誰も自分を罰してはくれないでしょう。
ただ、自分自身は紛れもなく不利益を被ってるので
後に、罰は自らが自らの手で下すことになるんじゃないかと思います。
そのように生きてしまった人生の責任、という形で。
ただ、どうしたら自分が罪を背負わずに"今"を生きていられるのか、まだわかりません。
2003年の頭に日記を付けはじめたころから今まで、
考えてることを暈かしてはあちらこちらにたくさん書き殴ってきました。
先の日記で書いたことも、考えてきてしまったことの中でのほんの一部でした。
そして、今までその手の日記に誰もつっこんで来ることはありませんでした。
誰も内容に気づかないだろうし、もし気づいたとしても受け入れてもらえないなんて勝手に思ってました。
それがこんな風に引き出されるとは思っても見なかったので、若干戸惑いを覚えています。
こういう自分が存在している事実は認められても、それを許せない。自己矛盾。
いっそ死んでしまえと思ったこともたくさんあるけど、端から見たらなんであれ、中身は全部そういう理由。
ナニカに甘えている、ナニカに縋ろうとしている、自立・自律できない自分が情けない。
ここ二年間の自分の生活を知る人に「そんなものは現実を生きていない」と言われました。
ここに書いた"くだらないこと"ばかりを考えている自分はそう映ったのでしょう。
実際言われてみて、自分を自分で省みることすらなくそのとおりだとうなずいた自分がいました。
「自分は本当に今生きているんだろうか?」と思ったのが先の日記を書くきっかけでした。
何もかも忘れて、何もかもどうでもいいや、そんな風に思うと楽になれるのは知っています。
今の自分にとって休むっていうのはそういうことなのかもしれませんね、きっと。
そんな時間ももうあまりないのですが。